アタマとココロの余白。 作りたい気持ちと一緒にいること。

Wakanamonologue

独白。独り言。そんなものづくり。

シネコヤとNew RoseとGold'n bub


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夫に良い映画につれていってもらった。

THE GREEN LIE  エコの嘘

環境破壊の上に成り立っている『エコの嘘』という映画。その破壊のスケールの大きさに驚いた。映画館で観るべきの大きさだった。自分の想像していたものは愚かなほどに無知で小さくて、圧倒的な画に胸を捕まれて唖然として無力感とそれに対する疑問を感じた。

 

世界一貧しい大統領 を観たときにも出てきた『買っても買っても満たされない』という貧しさ。しかしながらこれは、身に覚えがある。10年で増やしてきた洋服。たまに大事に長く着ている方に出会うと、自分には愛着が足りないと思わされる。一生分あるはずの服を、仕事を辞めたら存分に楽しみたい❗と、心から思う。だって、どれも好きで整理しきれないのだから。

が、この1年はアパレル業界にながら、疑問が確信化した。私はセールが好きではないのだが、そのセールを『こんな“コロナ”の騒動の最中でもやらなきゃいけないの?』 アパレル業界はよく報道されるように過剰生産が問題点。『経済を回そうって話なのに、どうしてOFF価格で売らなきゃいけないんだろ?』『コロナで“蜜を避ける”行動が求められてるところに、どうして人寄せるんだろう?』正常に回らない背景には必ず歪みが存在する。

 

底上げされた生活の豊かさの恩恵には預かっている。でもそこに誰かの犠牲がある。その存在をあまりに知らなく、知ろうとしなく、無視する。無視した私に向けられた映画だった。なんで原生林を破壊して椰子が植えられて畑になることがエコなの?同じ量の植物を植えたから罪はないの?そこに原生林があった意味とバランスは? なんで原住民の生活を破壊してその土地に農場を作ることがサスティナブルでエコなの?人を、元来の持ち主である彼らを殺して追い出してまで必要な農場って何?人間の歴史は遡ればずっとそうで、知恵とは愚かなのかな?と思う。お金が武器で、その権力を手に入れた人は止まらないんだろうな。歯向かえば潰しに、殺しにかかるのだろう。でも行きすぎた世の中、それは間違いだと気付く人も多くなってきた。静かに歯車が止まると良い。

 

出来ることはなんだろう?きっと何かたくさんあるけど。一番は身近な幸せを思うこと。小さく、だけど豊かに、そこにあるものに満たされること。それだけが大事だと気付くこと。

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映画のあとに大好きなお店にご飯を食べに行った。自粛期間中だけど。だからご飯は小さい写真で。豊かな時間をくれる人達。人と会うのってやっぱり楽しい。美味しいと楽しいの連鎖💕