アタマとココロの余白。 作りたい気持ちと一緒にいること。

Wakanamonologue

独白。独り言。そんなものづくり。

永遠の恋人

何年か前の、でもいつだったか憶えていないとある眠りの中で。いつもの公園の、背の高い遊具に登っり怖くて降りられなくなった小さな私に、

「大丈夫だよ、怖くないよ! ほら、おいで! 」

と『飛び込んでおいで』のポーズで下から大きく腕を拡げてくれた父の夢を見た。なんでそんな夢を見たのだろう?と思ったけど、あの時から父の身体は(本人も気づいてなかったかもしれないけれど)悲鳴を上げていたのじゃないかと思う。多分あの頃から、私の心もずっと騒いでいて、「あとどれくらい父に会えるだろうか?」と実家に帰る頻度を上げていた。

 

父は私にとって、ただいい人なだけではない。父の会社で長く働いたけど、父とぶつかり、私は転職した。父の会社だから決定権は父にあるが、100歩譲っても1,000歩譲っても許せない事案で「もう働けない。」と決別した。40歳手前で「もうカラダも売れないよ。。。」とその先を憂いた。程なくして311の大震災が起きて、父の実家は津波に飲まれた。会社の業績も良くなかったから、こんな時に何にも出来ないことに苛立った。本人も辛かっただろうけど、優しくも出来なかった。

 私は有難いことに新しい職を得てアパレルで働き始め、2年後には店長にして頂き、今の土地に移り住む。若い内から父の所にいて内弁慶なわけで、転職が決まった時、店長に昇格した時には『よそ様でも認めてもらえた』と嬉しかった。出来はさておき、一生懸命に働いた。“年下の上司”も“熟達した年下の同期"も居るであろう(未知の世界だった)から怖かったけれど、よくぞ飛び込んでゼロから学んだ。夢中で働いたし働き過ぎていたし、新しい土地で少しずつ友人も出来て楽しんでいた。振り返る暇もないし、振り返っても仕方ないし、盆も正月もないし、実家は出たっきりになっていた。

 

 新しい職場の上司には父とのことも全て話していて、ある時、「最近はお父さんとはどうなの?」と聞かれた。何も変わってないことを伝えてから『田舎から集団就職で出てきていい時代を経験して、自分で事業も興して羽振りよくなったはいいけどコントロール出来なくて会社駄目にして、大地震来て実家が津波に呑まれてるのに何の支援も出来ないとか、馬っ鹿みたい!!!』と思いの丈を吐露した。社長は少し黙って考えて「それだけやりたいようやって生きてきたのだったら、男として本望だ。」と口にした。その言葉は衝撃的で、ガラガラガラッと頑なな心が割れた気がした。今にして思えばふたりの社長は同じタイプの人間なんだと思うけれど。

 

 そして。電話を掛けてきたのは父の方だった。『たまには帰って来なさいよ。』と。気まずいながらも返事をして。その一言以外のやりとりも帰った際の挨拶も何も覚えていない。でも私は多分嬉しくて、遅すぎる思春期が終わったように父が生涯大好きになる。あの溝は埋まらないままだったけど、好きが増幅してその溝を埋めて見えなくしていたような気がする。

 

 あれから10年くらいかなぁ。仲の良い親子をやってきた。なんてことのない、はじめての穏やかな時間だったかもしれない(父は独立する前は昭和時代の営業マン。休みの日も家に居ない人だったから)。母を亡くして、父は妻を亡くして、私たちはバランスを取れていなくって仕事を鎹に繋がっていた。けれどその世界も崩壊して、誰も意地を張ることができなくなって、小さな家族だったことを思い出して寄り添った。

 

2025/12/07

すごく幸せで他愛もない穏やかな時間を、喪失。

 

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下書きのまま半年過ぎて、自分が残しておきたいのでこのままup.

あれから寂しいまま、いろんな感情が押し寄せては引いて。まるで失恋みたいだなって、あの頃から思い続けてる。

 

 

BVLGARI EXHIBITION

忙しくて気忙しくて日々の生活が穴だらけで心もぽっかりと大きく空いている。

 

父が入院している。

それは切なくて苦しい。

もう少しも若くない体が悲鳴をあげていて、本人はもう逃げてしまいたいのだ。

だから忙しい。

愛しい人間に出来るだけ沢山会いたくて、その熱に触れたくて。

 

その隙間に展覧会を捩じ込んだ。

最近は何も出来ていない。

あまりに何もしていなくて、ジュエリーの展覧会など敷居が高いのだけど。こんな見事な展覧会、観ないなど選択しちゃいけない。

 

私に宝飾を教えた人は、BVLGARIが好きだった。『このブランドは裏まで素晴らしいんだ』と教えてくれた。しかしハイブランド。メディアからの情報以外で目の当たりにしたことなどある訳もない。あの色彩感覚とか、あのボリュームとか、感じてみなきゃ。

 

BVLGARIは思っていたよりずっと繊細で、自然を崇拝する心があって、創始者の情熱が生き続けていて。美しいブランドだなぁと腑に落ちてとても好きになった。今までビジュアルでのみ知っていたあれこれが、違うイメージで心に住み着いた。

 

撮影OKの展覧会だったのに、スマホを忘れて入場してしまって。お陰でじっくりとこの眼で観た。持ち込んでいたら私も撮ることに一生懸命になっていた、多分。音声ガイドは借りなかったけど、壁の文もじっくり読んだ。空っぽだった脳ミソに色んな言葉が響いた。すごく満たされた時間を過ごせた。

 

父とも通った六本木なのだ。仕事で通った六本木なのだ。すべて彼にもらった時間だ。いくらでも空っぽになってやるけど、本当はいつだってこの上なく満たされている時間を私は持っている。

 


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アイスクリームスプーン

来てみたかったカフェに来てチートしている。

実家に帰る途中、ひとつ手前の駅で降りてバスでさらに途中下車。地元に素敵なところが増えている。帰ることに楽しみが増える。

 

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f:id:spxspx:20250702135834j:image 本来の目的までのチート。

 

抹茶のチーズケーキに苺のアイスクリームが乗っかっているのを頬張りながら

 

『アイスクリームスプーンを作ろう!』

 

と閃いた。アイスクリームスプーンに困っているわけじゃない。この美味しいひとくちを食べて『ちゃんとしたアイスクリームを食べよぅ。』って思ったまで。手作りの銀の(予定)スプーンだったら、ラクトアイスなんて買わせない、なんて思ったのだ。

 

 

 

14年

昨日、1日遅れてみちのくワインを飲んできた。

取り扱っててくれて、飲ませて頂けてMONKに感謝。

 

14年も経ったのだな。

『あの時、父は70になる年だったのか。』

もう十分に年を取った年齢だったんだな。そんなふうに今年はふとそう思った。あの日、私は他の多くの人達のように無理に帰宅を敢行した父に本気で腹を立てた。危ないのに。弟のところに泊まればいいことなのに。無理をする必要があるのか? 色々思ったのだろうけど、なんであんなに怒ったんだろう、私。

 

田舎が津波に呑まれたと知った時。どうしたって無理なほど、海に近い家だった。

もちろん家族が心配で、その無事に安堵したと思うけど、父は自身の故郷に起きたことに何を感じていたのかな? 計り知れないと今更に思った。

 

他の多くの人達のように、私はそのタイミングで仕事を変えた。辞めるつもりだった父の会社を、辞める決意がついてしまった。当時、私たちの関係は親子史上最悪だったから、私の感情もやり場が無さ過ぎていた。でも14年の月日が経つ中で、関係を修繕してくれたのは父で、どんな際にも私は甘えただけだった。今年の3.11は父は何を思っていたのかと始めて知りたくなった。ああ、それを今まで知ろうとしていなかったのかと、反省をやっとしたのだな、私。

 

父が今、とっても愛おしい。

あの人、本当に私の太陽だな。父とは、そういうものなのだろう。凄いな。

 


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またここから


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2025/03/03 ひな祭り。

とってもとっても寒くて冷たい雨だけど。

 

展覧会が終わって早くも1ヶ月。2月、何をしていたんだったっけ? と思うくらいだから、ほとんど冬眠だと思う。詰まっていた予定は楽しく過ごさせてもらった。でもその記憶も遠く、すべき事は進んでいない。やっぱり冬眠だと思うことにする。

 

私の住む里山に春が少しずつ拡がってきた。最初はほんの一匙程の小さな存在がいつぞや一変して枯野をみずみずしく塗り替える。『あぁ、そろそろだね。』と順番待ちの木や草や花や虫や動物たちに倣って、私も目覚めたところではないか。

 

過日の2月の最後の日は“魚座新月”という日だった。色んなところから情報を引っ張り出したら、牡羊座から始まる星座での1年の振り返りをすると良い日らしかった。私はこの1年が実というより気忙しかったことで、本当に余裕無く過ごしてきた。それを乗り切ったことには満足しているんだが、孤独だったことを悲しく思う。慌ただしく動いたので金銭的にも時間的にも余裕はなかったが、何よりもココロがそうだった。久しぶりに会えた友人にも『あー、大変だ!』と訴えて、そんな自分にまた嫌気が差したりしてた。

 

それに気付いてから心持ちは変わったように思えたが、あとの祭りのような後悔と他者との関係の築き方の下手さをまだ引きずっている。それが反省。そしてその内向的性質は自分の発信すべきも停滞させてた。私は、彫金で成り立ちたいのに、それを表現しなくてどうするのか。

 

そう思っての、久し振りにここに思いを書いてみようと思った次第。

 

私は彫金で成り立ちたい。

その為と、穏やかに暮らすために心は閉じない。

状況は落ち着いたから、ま、ゆっくりゆっくりと。
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やもめの結婚記念日 2021

父 = やもめの結婚記念日をお祝いする帰省が定例化し、昨日今日と会いに行ってきた。前の住まいの頃に拠り所にしていた居酒屋さんで待ち合わせて一緒に飲んでから帰るのが定番なんだけど、今回は先に実家の敷居を跨ぎ、帰宅後に飲み食いする用意をしてから一緒に出掛けた。9時までの営業では弟が合流できないから。飲みに行くのだから当然のことながら歩いて出る。実家もお店も駅から遠い。途中で『車乗ろ』とか言うかな?と思っていたが弱音吐かずに進む。ただ歩みが弱くなったなぁ。自分でも『つんのめりそうになるから背筋伸ばして歩かなきゃ。』と気を付けて歩いているらしい。下見て歩かなきゃ転びそうな地面をしているんだよね。優しくない。今年は桜が早かったけど、『あぁ、綺麗だね🌸』って、周りを愛でながら歩きたいよね。

どれぐらいの歩調で歩いたらいいのかな?とか、どれだけの距離なら歩くかな?とか。上手に寄り添いたいけど、父は今、何をどう感じているのかな。愛しくて切ない春の日。“あなたが生きている今日はどんなに素晴らしいだろう💕”🎵 記念日を迎える度に母はより若い妻となっていく。ニヤリ😏としていそうでもあるのが、母。

おめでとうとありがとう。

私は幸せに生きています。ありがとう。


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育った場所を歩く。この時期の花畑(はなはた)は本トにお花畑(はなばたけ)。なんてことない休日は心から休まって“楽”の極み❗それが“楽しい”なんだなーって実感できた休日だった。

 

料理とは

もう間もなく解除であろう緊急事態宣言、飲食店の時短営業は一度目よりも私を打撃している。初回は私も休職状態となって、昼間に動けたから。今は仕事を上がってからでは余裕なく、家と逆の方向へと向かうことなく、帰宅。まぁ、今は正しい行動なのだろうけど、昨日は夫と好きなお店を訪ねた。


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もンの凄い美味しかった。

美味しいお店だって知っているし、昨日もそれを期待して行った訳だけど、それにしても美味しい💕ぃや、ありがとう。本当に、ありがとう❤️

昨日、このお店を選んだのは二週間前にマルシェで買った野菜が美味しくて、『伝えたくて』も含めてのこと。購入の野菜にレシピも付いていて、その通りにやってみたら激ウマ。美味しい食材は手を加えるよりも“そのまま”がいいと言うけれど、野菜の味がしっかりわかるレシピだった。そして昨日、シェフの料理を食べてから、その後に、腑に落ちた。『私みたいなのが手をかけること、無いんだな。』

 

料理って、やっぱり仕事。食材の良さを生かせる人が行う技だ。当たり前のようであって、ぃや、とても深いこと。ご飯は作りますけれど、あれは料理じゃないんだな💡というね、そこまで感動してしまった。“職”とか“仕事”とか。滋味深く穏やかな食事だったけど、そこを感じた感動は脳を思いっきり刺激したのだ。

 

人の職人たる姿勢に触れると気持ちがアップする。自分の仕事もレベルを上げなきゃ、と律する。今私は、自分の“下手”と戦っている。でも、じんわりと細胞が膨らんで彫金師の私に戻るのを感じる。これはとても幸せ。

 

料理は食べに行こう。五感を刺激してくれる職に会う素敵な時間を過ごしに行こう。

 

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