アタマとココロの余白。 作りたい気持ちと一緒にいること。

Wakanamonologue

独白。独り言。そんなものづくり。

ゴールデンて何?

最後の販売員期を過ごしていて、時はコロナ禍。神奈川は緊急事態宣言から外れたので仕事はあるが、足に痛みを抱え、連休は羨ましい。それが本音。

世の中がこんなに歪んでいるのも久しいと思う。“平和じゃない~”と発したコメンテーターの言葉が腑に落ちた。今、平和じゃない。

 

平和じゃないけど。

 

自由を履き違えてないかね?

 

いろいろ煩わしくて。静かに平穏になりたいし、自分に集中したいな。。。
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内反小趾⁉️ 気も心も体も⁉️許せる整体師の彼女に仮判定されたけど。年始に仕事を終えていたらこうならなかったかな?右足の骨々感が好き。

やもめの結婚記念日 2021

父 = やもめの結婚記念日をお祝いする帰省が定例化し、昨日今日と会いに行ってきた。前の住まいの頃に拠り所にしていた居酒屋さんで待ち合わせて一緒に飲んでから帰るのが定番なんだけど、今回は先に実家の敷居を跨ぎ、帰宅後に飲み食いする用意をしてから一緒に出掛けた。9時までの営業では弟が合流できないから。飲みに行くのだから当然のことながら歩いて出る。実家もお店も駅から遠い。途中で『車乗ろ』とか言うかな?と思っていたが弱音吐かずに進む。ただ歩みが弱くなったなぁ。自分でも『つんのめりそうになるから背筋伸ばして歩かなきゃ。』と気を付けて歩いているらしい。下見て歩かなきゃ転びそうな地面をしているんだよね。優しくない。今年は桜が早かったけど、『あぁ、綺麗だね🌸』って、周りを愛でながら歩きたいよね。

どれぐらいの歩調で歩いたらいいのかな?とか、どれだけの距離なら歩くかな?とか。上手に寄り添いたいけど、父は今、何をどう感じているのかな。愛しくて切ない春の日。“あなたが生きている今日はどんなに素晴らしいだろう💕”🎵 記念日を迎える度に母はより若い妻となっていく。ニヤリ😏としていそうでもあるのが、母。

おめでとうとありがとう。

私は幸せに生きています。ありがとう。


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育った場所を歩く。この時期の花畑(はなはた)は本トにお花畑(はなばたけ)。なんてことない休日は心から休まって“楽”の極み❗それが“楽しい”なんだなーって実感できた休日だった。

 

料理とは

もう間もなく解除であろう緊急事態宣言、飲食店の時短営業は一度目よりも私を打撃している。初回は私も休職状態となって、昼間に動けたから。今は仕事を上がってからでは余裕なく、家と逆の方向へと向かうことなく、帰宅。まぁ、今は正しい行動なのだろうけど、昨日は夫と好きなお店を訪ねた。


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もンの凄い美味しかった。

美味しいお店だって知っているし、昨日もそれを期待して行った訳だけど、それにしても美味しい💕ぃや、ありがとう。本当に、ありがとう❤️

昨日、このお店を選んだのは二週間前にマルシェで買った野菜が美味しくて、『伝えたくて』も含めてのこと。購入の野菜にレシピも付いていて、その通りにやってみたら激ウマ。美味しい食材は手を加えるよりも“そのまま”がいいと言うけれど、野菜の味がしっかりわかるレシピだった。そして昨日、シェフの料理を食べてから、その後に、腑に落ちた。『私みたいなのが手をかけること、無いんだな。』

 

料理って、やっぱり仕事。食材の良さを生かせる人が行う技だ。当たり前のようであって、ぃや、とても深いこと。ご飯は作りますけれど、あれは料理じゃないんだな💡というね、そこまで感動してしまった。“職”とか“仕事”とか。滋味深く穏やかな食事だったけど、そこを感じた感動は脳を思いっきり刺激したのだ。

 

人の職人たる姿勢に触れると気持ちがアップする。自分の仕事もレベルを上げなきゃ、と律する。今私は、自分の“下手”と戦っている。でも、じんわりと細胞が膨らんで彫金師の私に戻るのを感じる。これはとても幸せ。

 

料理は食べに行こう。五感を刺激してくれる職に会う素敵な時間を過ごしに行こう。

 

passed 160 days

365日、愛しい。


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なんか、ずっと好き。そう思って毎年触れては嬉しくなるカーディガン。リネンウールと背中はコットン。地味な顔をしたコイツを選ぶ自分に疑問符だったその昔、『いや、あなたの好きなものだよ。』上司がそう発したのを覚えている。浪費家がイイ歳になってアパレル業に足を踏み入れた。着るものの更新が早いから“ずっと大事に着てる”っていうのとはちょっと違うけど、クローゼットのニットを覗いてコイツに触れると嬉しい。そういえばそうだった。コイツと共にこの街にやって来た。8年前のこと。相棒だったんだ、ってさっき思い出した。

 

今日の夜は空気が冷たくて、誰も知らない街に越してきた今日のこと~部屋の片付けも疎かなまま引き継ぎにだけ夜出動をして、帰ってはじめて“ガスの開栓してない💦”ことに気付いて、埃まみれでバタンと寝て、翌朝、電気ポットでお湯を作って、何とか湯を浴びて出勤した~を思い出した。引っ越し前にガス屋と飲んでたくせに❗真冬だし、寒かったんだった❗❗

 

例年、大きな節目だから何となく振り返るけど、カーディガンのこととガスのことは久し振りに思い出した。最後の最後にコロナだなんて未知との遭遇をして大変な目に遭うだなんて想像できるわけもなかったけど、逃げるように消えるよりは挑んで働いて終ることを選べて良かったんじゃないかと思う。新しい365日。二度と出会えない日常が始まっちゃった。誇れる仕事、満足のいく仕事がしたい。明かりの消えた廊下を来年の今日なのか?過去なのか?ワープしている錯覚で歩いて、退社してきた夜だった。


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二日前の満月。館の前から。

 

38分過ぎたけど、2021/01/31

シネコヤとNew RoseとGold'n bub


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夫に良い映画につれていってもらった。

THE GREEN LIE  エコの嘘

環境破壊の上に成り立っている『エコの嘘』という映画。その破壊のスケールの大きさに驚いた。映画館で観るべきの大きさだった。自分の想像していたものは愚かなほどに無知で小さくて、圧倒的な画に胸を捕まれて唖然として無力感とそれに対する疑問を感じた。

 

世界一貧しい大統領 を観たときにも出てきた『買っても買っても満たされない』という貧しさ。しかしながらこれは、身に覚えがある。10年で増やしてきた洋服。たまに大事に長く着ている方に出会うと、自分には愛着が足りないと思わされる。一生分あるはずの服を、仕事を辞めたら存分に楽しみたい❗と、心から思う。だって、どれも好きで整理しきれないのだから。

が、この1年はアパレル業界にながら、疑問が確信化した。私はセールが好きではないのだが、そのセールを『こんな“コロナ”の騒動の最中でもやらなきゃいけないの?』 アパレル業界はよく報道されるように過剰生産が問題点。『経済を回そうって話なのに、どうしてOFF価格で売らなきゃいけないんだろ?』『コロナで“蜜を避ける”行動が求められてるところに、どうして人寄せるんだろう?』正常に回らない背景には必ず歪みが存在する。

 

底上げされた生活の豊かさの恩恵には預かっている。でもそこに誰かの犠牲がある。その存在をあまりに知らなく、知ろうとしなく、無視する。無視した私に向けられた映画だった。なんで原生林を破壊して椰子が植えられて畑になることがエコなの?同じ量の植物を植えたから罪はないの?そこに原生林があった意味とバランスは? なんで原住民の生活を破壊してその土地に農場を作ることがサスティナブルでエコなの?人を、元来の持ち主である彼らを殺して追い出してまで必要な農場って何?人間の歴史は遡ればずっとそうで、知恵とは愚かなのかな?と思う。お金が武器で、その権力を手に入れた人は止まらないんだろうな。歯向かえば潰しに、殺しにかかるのだろう。でも行きすぎた世の中、それは間違いだと気付く人も多くなってきた。静かに歯車が止まると良い。

 

出来ることはなんだろう?きっと何かたくさんあるけど。一番は身近な幸せを思うこと。小さく、だけど豊かに、そこにあるものに満たされること。それだけが大事だと気付くこと。

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映画のあとに大好きなお店にご飯を食べに行った。自粛期間中だけど。だからご飯は小さい写真で。豊かな時間をくれる人達。人と会うのってやっぱり楽しい。美味しいと楽しいの連鎖💕

今年の抱負

2021

 

あっという間に正月も明けてしまった。例によって私の新年はSALEから始まる。毎年、怒濤のごとくで時間が過ぎるが、今年はそうはいかない。私は年末から『オール4日🌟』含む6連勤。酒の席なら喜んで、だったがそれも今は昔で12時間労働のこと。まったく、老体に鞭、のはなし。

 

さて。手帳の扉に今年の抱負を書いた。

『我に戻る 我に返る』

“はっ❗”と我に返るのは次の年が明けたとき。それまでの時間、この1年を力強くのっしのっし歩きたい。それが希望で願望で、目標。

 

思わず長く居てしまった現環境なので、すべてが滑稽に愛しい。次の1月一杯なのでまだ始まってないのだけど、毎日“最後の1日”を過ごさなければならない。これは、きっと、切ないだろうな。もう一度、初心にかえり販売員であることを噛み締めてみている。すると、聞き出せる言葉があるのだよねぇ。知らず知らず、でもないかもしれないが傲慢さを随分と身に付けてしまっていたらしい。2月からは涙袋が玉羊羹かもしれない。

 

明けた先の準備も。あまりにもあまりにも、漠然としか考えてなかったのだと、数ヵ月前に打ちのめされたから。意気がれる最後の時期は、残念、謙虚に過ごさなければ。

 

『牛歩のごとく』って言うんだね。友人のブログで拾った言葉。ゆっくりと我が道を。悠然と我が道を。我に、メタルワークの道に、戻る道を力強くのっしのっし歩く。f:id:spxspx:20210109233313j:imagef:id:spxspx:20210109233326j:image

I love you


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逗子 CINEMA AMIGO

行ってみたかった場所へ。

観たかった映画を。

 

米大統領選挙のタイミングで静かなこの映画を観た。写真の優しい面持ちとあのスピーチの主である、という知識だけで観た。ムヒカ氏が活動家だったって、知らないで。生い立ちと国の情勢と、駆り立てる条件はそれだけで十分という中で暮らしていたのだろう。チェ・ゲバラにも影響を受け、心を熱くしたペペは凶悪な行動を繰り返し、投獄され、脱獄し、再投獄の長い独房生活で『戦いではなにも変わらない。文化が変わらなくては、なにも変わらない。』と思うに至る。

 

チェ・ゲバラ、この人も私は好き。ドキュメンタリー番組を観た程度しか知識はないけど、同じ誕生日の人であることは小さな自慢🎵

 

“持ち過ぎてそれでも満足しない社会構造である資本主義”を『それは幸せなのか?』と問うムヒカ氏。社会主義と資本主義はお互いを批判し合うけど、その構造にはそれぞれに欠点があるわけだからどちらが“絶対に”正しいと云うのは違う気がする。資本主義の中に必ず、置いてきぼりの存在があって、そこにエネルギーがない。社会構造の歪みがもっと大きくなったときに、どこであったって革命は起きるかもな、と思う。ムヒカ氏の妻もチェ・ゲバラも裕福な家の出だったけど、その歪みに立ち上がった人がいたのだから。

 

彼らが英雄とされたりクローズアップされたりするのは、真に平等を求めてそう行動をしたから。理想を持ち、理想実現のために動いたから。ネズミ小僧的であり、愛される。みんなで豊かになれば国も豊かになる。その煽りに巻き込まれて、私たちはその歪みに苦しさを感じるようになっていないかしら?だからムヒカ氏の演説が心に刺さったのだ。

 

私も持ち過ぎる自分にうんざりして反省している途中。片付けるともう少し思考がクリアになりそうだから、一年かけてそうしよう。

 


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20年前、アリゾナの家族の家の前でホストブラザーがモトクロスを見せてくれたときに彼のバイクと撮ってもらった。パパがHondaに勤めていたこともあって、日本に興味を持ったのでしょうね。家にはHondaのバイクがずらりとあった。アメリカが、いつでも訪ねやすい場所であってほしい。初めての“I love you”を聞いた場所に、いつでも戻れるように。