アタマとココロの余白。 作りたい気持ちと一緒にいること。

Wakanamonologue

独白。独り言。そんなものづくり。

4 動かなきゃ。

あの日は、地球の上に居るということを急にクローズアップした。思い出したというよりも初めて気付いたのかも知れなかった。

 

家族で一緒に仕事をしていて、それが傾いて最悪のピークが2010のクリスマス。『辞めます』と宣言した3ヶ月先に地震が起きた。なにもできることがなかった。募金も出来ない現実が異常でしかなくて、そんな大混乱のときに新しく働く先を探した。一番には心が枯渇していた。独立したい願望はあっても作りたいものが浮かばない。現実的にお金もない。動かなきゃ。

 

そして、今の会社に拾ってもらう。捨てる神ありゃ拾う神ありって本当だった。『末端(販売)でもいいから、作りの世界に居よう。』そう思わせてくれたアパレルブランドで9年目。思わず長居してしまったけど、10年て区切りで次に進もうと、上司にはそう伝えた。

 

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秋の気配の空の下、高く高く積み上げられている土手。この壁の向こうに、本当は帰りたい家があった。わずかな目印でやっとイメージができた。土手がコンクリートで覆われたら、もっと思い出せない風景になるんだろうな。

ここは南三陸町志津川の父の実家があった場所。海から程近く、実家は津波で流された。父は集団就職で東京へ来た高度成長期のサラリーマンの一人。割りと遅くになってから独立をして、一時は羽振りも良かったけれど、傾いて崩れていくのを私は一緒に体験。毎日、明日が怖い日を繰り返したから私はかなり荒んでた。

 

あるときに、今の勤め先の社長が父のことを聞くので『中卒で東京に来て、いい時代も過ごして独立もしたけど、最後には会社をダメにして、挙げ句、実家も津波で無くなるなんて可哀想ですよね。』と見事な荒みっぷりを吐露した。そんな私に『そこまでやりたいようにやれたのなら、男として満足だよ。』みたいなことを返した。その言葉が不思議に心に刺さって、急に父の人生を愛しく感じた。強ばっていたものが崩壊した魔法の言葉だった。

それだけで、この会社に来た意味は十分にあったんだけど。一番には心が休めたんだと思う。今は作りたいものがちゃんと浮かんでくる。動かなきゃ。

 

ただ一人の人間。地球にいるちっぽけな存在。虚飾から解放されるほど揺れた。あぁ、自分は何者なんだっけ?

そしていつか、壊れた気持ちや崩れた関係は、ちゃんとあるべきところに戻る。家族で志津川を旅した今年のお盆の思い出。
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海から離れて暮らし始めている従姉妹の家の山の風景



f:id:spxspx:20190827130017j:image“お父さんの海”


f:id:spxspx:20190827130103j:image巨大な堤防建設中。お墓から見下ろせる知らない景色。